カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

月別アーカイブ

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

--/--/-- (--) --:--
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2008/11/20 (Thu) 21:36
殺された側の論理

を読んでいるのですが
ちょっと考え込みました。

被害者遺族側の意見として
加害者を死刑にせよとそういう意見があります
無論当たり前のコトだとは思うんですが
最近ことはそう簡単ではないのではと
そう思うようになってきました。

一人殺した人間と十人殺した人間
この二人に同じ死刑という罰を与えるのは
果たして法の下の平等に適うのかと・・・

現実問題、死刑というのは最高刑なわけです
それを適用するのだから
史上稀に見る残虐事件ということです。
それなのに一人殺したら死刑とすると
一人の人間を殺すのと十人の人間を殺すのが
同じ罪ということになってしまう
これははたして正しいのか?と思うのです。

また死刑の抑止力としての意味も変わってくると思う
「一人殺したどうせ死刑だ」
       ↓
「それならもっと殺してやろう」
こうなってしまっては意味が無い。
それならば死刑に持っていくのに
ある程度の猶予みたいなものは
必要だと思うのです。

ただこの本の中で深く同意できるのが
精神鑑定など無意味という点ですね。
責任能力があるとか無いとかそんなの関係ないです。
そんなことは被害者が殺される理由にはならないのですから。

<< ラストレムナント | ホーム | マスコミの特権意識 >>

コメント

ども、お疲れ様です。
難しいね・・・なんとなく思うのは、一人殺して
自首した場合と、捕まった場合で分けてもいいんじゃ
ないかなーと思います。
殺人は癖になると、心理学の本に書いてた記憶が
あるので・・・
殺した人数より、再犯の可能性がある人間か、そうでないかで判断するべきかと、個人的には思いますね。
難しい問題だけど。

どもども

う~ん僕は自首や出頭も考慮に値しないと思います。
自首って言ってしまえば
先に戦争仕掛けた国が負けそうになったからって
和平交渉をしようとするようなものですから。

それに自首が本当に反省の表明なのかもわからない
自首をすれば罪が軽くなるから
そういう理由で自首をする人もいると思います。

僕は犯罪で情状酌量を認めるのは
被害者と加害者の間に特別な関係性が
あった場合だけに限るべきだと思います。
その上で変な言い方ですが
殺した人数や残虐性といったもので
罪の軽重を計るのが
最も法の下の平等に適うのではないかと
そう思います。

どもども。
かもしれないかな・・・元次官殺害犯の事考えると
自首しただけで判断するのは危険ですね。
ただ、人数に関してはうーん・・・と思います。
警察がいつ捕まえるかにもよりますしね。
一人殺害した時点で捕まったとしても、可能性として
もし捕まらなかったら、まだ殺す可能性があるかもと
思うとね・・・
自分の存在意義を見出しにくい世の中なんかね・・・
ちょっとの事で、殺意を持たずに済むのかも知れないのに
と、個人的には思います。

言われてみるとそうですね・・・
確かに偶々一人殺したタイミングで
捕まったのかもしれない。
そうなると単純にそれだけで
軽重を計るわけにはいかない。

む~難しい・・・

人が何故人を殺すのかというのは
本当に難しい問題ですね。
デーヴ・グロスマンの
「戦争における人殺しの心理学」によると
人は人を殺すのに本能的な部分で
もの凄い抵抗を感じるらしいです。
それが例え自分の身を守る為であっても。

にも関わらず平和な社会で
自分の身を守る為でもないのに
それどころかホンとに意味のわからん理由で
あっさり人を殺してしまう人間もいる・・・

でも裁判員制度が始まるから
難しいって理由だけで避けて通る事もできない。
本当に頭を悩ます問題です。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。